2011年 05月 01日
大山詣でPart1 日向薬師 |
GW2日め 伊勢原市の知人を訪ね、大山観光に行ってきた。
渋滞を予想して朝7時に出発したが、上りは渋滞もなく
9時半に秦野中井インターに着いてしまった。
インターまで知人に迎えにきてもらい、知人宅によってから、
まず日向薬師へ連れて行ってもらった。
参道から登ると大変だったが、日向薬師そばの上の駐車場から
行ってもらったので、体力的には助かった。
日向薬師は柴折薬師(高知県)、米山薬師(新潟県)とともに、
日本三大薬師に数えられる。
716年行基菩薩が開創したとされる。以来歴代の天皇が寄進するなどして
信仰したと伝えられている。
源頼朝や政子も参詣。その後小田原北條氏や徳川家の寄進も受けた。
仏像は平安、鎌倉時代の重要文化財の薬師如来、月光菩薩、日光菩薩、
阿弥陀如来等多くが宝物殿に安置。このため昔からかなり信仰を集めている。
残念ながら、本堂は改修中で見ることができなかった。
幡かけ杉(宝城坊の二本杉)を見ることができた。
この杉、関東管領足利基氏が幡をかけて平和と五穀豊穣を祈ったと伝えられる。
推定樹齢 800年で、県指定天然記念物。
この杉、バワースボットになりそうくらい、気を感じた。
願掛けの杉とも言われているらしい。
この杉近くにある宝城坊の鐘堂。
吊されている銅鐘は、1340年(暦応3年)の銘文とともに、
寺の来歴が記されているもので、
国の重要文化財に指定されている。
最初の鐘堂は、952年(天暦6年)に建造された。
現在の鐘堂は、1763年(宝暦13年)の棟札が発見されており、
伊勢原市の重要文化財となっている。
なお、12本ある柱は、十二神将を表しているといわれている。
そして鐘堂の奥にある見逃しそうな虚空蔵菩薩
霊樹の幹の中に安置された虚空蔵菩薩は、日向山の奥の院にあったものを
参詣しやすいようにここに移された。
子どもが十三才になると福徳、知恵、慈悲心が授かるようにと参詣するのが
虚空蔵菩薩(十三詣り)
木の中がえぐられているのに元気な木にパワーを感じた。
そして虚空蔵菩薩が丑・寅年生まれの人の守り本尊とされることから、
牛・虎で一対の像が社の入り口に奉納されている。
ここも見逃しそうである。
渋滞を予想して朝7時に出発したが、上りは渋滞もなく
9時半に秦野中井インターに着いてしまった。
インターまで知人に迎えにきてもらい、知人宅によってから、
まず日向薬師へ連れて行ってもらった。
参道から登ると大変だったが、日向薬師そばの上の駐車場から
行ってもらったので、体力的には助かった。
日向薬師は柴折薬師(高知県)、米山薬師(新潟県)とともに、
日本三大薬師に数えられる。
716年行基菩薩が開創したとされる。以来歴代の天皇が寄進するなどして
信仰したと伝えられている。
源頼朝や政子も参詣。その後小田原北條氏や徳川家の寄進も受けた。
仏像は平安、鎌倉時代の重要文化財の薬師如来、月光菩薩、日光菩薩、
阿弥陀如来等多くが宝物殿に安置。このため昔からかなり信仰を集めている。
残念ながら、本堂は改修中で見ることができなかった。
幡かけ杉(宝城坊の二本杉)を見ることができた。
この杉、関東管領足利基氏が幡をかけて平和と五穀豊穣を祈ったと伝えられる。
推定樹齢 800年で、県指定天然記念物。
この杉、バワースボットになりそうくらい、気を感じた。
願掛けの杉とも言われているらしい。
この杉近くにある宝城坊の鐘堂。
吊されている銅鐘は、1340年(暦応3年)の銘文とともに、
寺の来歴が記されているもので、
国の重要文化財に指定されている。
最初の鐘堂は、952年(天暦6年)に建造された。
現在の鐘堂は、1763年(宝暦13年)の棟札が発見されており、
伊勢原市の重要文化財となっている。
なお、12本ある柱は、十二神将を表しているといわれている。
そして鐘堂の奥にある見逃しそうな虚空蔵菩薩
霊樹の幹の中に安置された虚空蔵菩薩は、日向山の奥の院にあったものを
参詣しやすいようにここに移された。
子どもが十三才になると福徳、知恵、慈悲心が授かるようにと参詣するのが
虚空蔵菩薩(十三詣り)
木の中がえぐられているのに元気な木にパワーを感じた。
そして虚空蔵菩薩が丑・寅年生まれの人の守り本尊とされることから、
牛・虎で一対の像が社の入り口に奉納されている。
ここも見逃しそうである。
by dagurasunomonoii
| 2011-05-01 18:47
| 家族旅行 11.5