先週、中学校の合唱発表会が市の文化施設で行われました。
3年生は午後からだったので、午後から行きました。
1年生の時は行かず、
2年生の時は終了間際、
実際に合唱を見たのは8年ぶりぐらいでした。
娘からは数日前にプログラムを受け取り見てみると
開会式の時に「英語スピーチ」というものがあることに気づきました。
へぇ~……英語スピーチね。
中学の時、1分間の英語スピーチをやったことを思い出しました。
合唱も終わり
娘から「英語のスピーチね、内容がすごかった」と言うので
「どんなスピーチだったの?」と聞くと
「これ……」と言って一枚の紙を持ってきました。
両面印刷されたその紙には
片面に英文、もう片面には日本語訳が載っていました。
とりあえず、日本語訳を読む前に英文から読み始める事にしました。
My Father's Gift of Life.
I am alive today, but there is one person who couldn't live.
When that person died, a chance was given to two others.
……誰が亡くなったんだろう?
The person that died is my father.
え……この子、お父さんを亡くしている……
He gave from his own body so that others could have a future.
Fourteen years ago, when I was only one years old, my father suddenly fell down.......
途中、単語の意味が分からないものがありましたが
どんな内容の話なのか、理解しました。
こうやって何とか頑張って英文を読んでいる間も
涙が出てきました。
これを直接聞いたら、きっと泣いてしまったかもしれませんね。
以前、娘が
「お父さんを赤ちゃんの頃に亡くした女子がいるよ」と言っていました。
……この子だったんだ……。
最後に
”父が生きたかったであろう一日一日をムダにしないように生きていきたい”
という文で終わっていました。
確かに、
私が生きている「今日」は、夫が生きられなかった「今日」でもあります。
夫は最後までリハビリを頑張っていました。
また歩けるようになると……信じていました。
夫はドクターから余命宣告を受けていたのかどうかは、分かりません。
一度もその話題に触れた事は、ありませんでした。
2014年9月……
ドクターから「あと2~3か月」と聞いた時
夫は同席していませんでした。
そして、私は夫にそれを伝える事が……できませんでした。
夫は生きたかった。
だから、あんなに頑張っていた。
せん妄がひどくなっても
自宅に戻ってほとんど眠ってばかりだった日々でも
感覚がほとんどなくなった脚をマッサージしてあげると
気持ちよさそうな表情をしてくれました。
最後まで諦めなかった夫は、強い人です。
それを、誇りに思います。
だから、私は残りの自分の人生を
大切に生きなくてはいけないのでしょうね。
夫が生きられなかった分まで。